にわにわしてるブログ

その時遊んでるゲームの話とかします

【雑記】向日葵畑の君へ

憧れに向かって飛ぶ、情熱の矢となれ

 

伝わる人にだけ伝われば良い。そんな独り言

 

あの日の出会いは本当に偶然だった。何なら、あの時私の瞳には君の事は映っていなかった可能性が高い。それでも君は私を憧れだと、師匠だと言って追いかけてくる。

 

共に走った始まりの冬。あれは多くの意味で始まりの冬で、そして終わりの冬だった

神様が本当にいるのならば、あの月、あの場所に私たち4人が集まったのはきっと神様の悪戯なのだと思う

 

 

あの時の私を君は憧れだと言ってくれた。私自身は自分の姿のどこに憧れる要素があるのか今でも分からない。でもきっと憧れとはそういうものなのだろう。私が憧れ、焼かれた人々もまた自分に憧れて欲しいと思って立ち振る舞ってなどいないのだろうから。

 

 

そして季節は廻り、君の信念は春の桜と共に散ってしまった。正直に言うと私は君の姿に自分の憧れを重ねてしまっていた。ここで言う憧れとは、憧れた人の事であると共に私自身の夢・憧れも重ねていた。あの春、私は私で一つの夢が潰えたばかりだった。だから君がどうしても気になって、時々思い出したように探しに行く日々が続いた。

 

 

それから半年、神はまた悪戯に私たちを引き合わせた。私は天から悪戯に垂らされた糸を、恐らくは二人で掴むか決めるべきだった糸を、自分のワガママで無理やり一人で手繰り寄せ君に手渡してしまった

 

そう、私は神が垂らした糸を使って君の背中に許可も無く自分の夢の一端を縛りつけたのだ。なんとも自分勝手で迷惑極まりない話だ。私にはもう自分でそれを叶える気力も時間も残っていなかった。けれど諦めきれなかった。だから他人に自分勝手に託し、乗せてしまった。でも君は見事、そんな身勝手な思いを憧れの果て、更にその先まで連れて行った。見事連れて行ってしまった。

 

あの時、私は君の瞳を借りて夢を見れてしまった。きっと、まだ足りない、まだ後悔がある。そう言うのだろう。私が身勝手に乗せた憧れはいつしか私の手を離れ、君の君自身の憧れになっていた。でも、私にとってはあそこが終着点。一人では絶対に到達できなかった、けれど見せてもらえた終着点

 

だから私が運転手を務めるのはここまで。夢と憧れを乗せた列車に私はもう乗る意味も資格も無くなった。次は君がこの列車を動かす番だ。人はこれを呪いというのかもしれない。けれど私たちは知っている。この列車が無ければ私たちはどこにも行けないことを

 

 

列車を降りて一人歩き続けた秋、私は己が夢と憧れの果てに到達できた。君はもっと二人で列車に乗っていたかったと言うのだろう。二人で旅を続けたかったのだと言うのだろう。願わくば私もそうありたいと思う。けれど、謝りはしない。これは私が望んだ果てなのだから。

 

 

ありがたい事に、私が一人乗り込んだ列車はいつの間にかいくつかの列車を動かしていたらしい。私はこのコスモス畑でただ君を君たちを想う。己が夢と憧れの果て到達した花畑は存外悪くない。憧れに向かって飛ぶ、情熱の矢がいつかこのコスモス畑に届くことを夢見て