君も同じかい? 理想像
2019年記事から来た方あけましておめでとうございます2020年です
この第二弾を書き始めた現在、日付はてっぺんを回り1月2日の深夜0時20分程ですが、記事は年を越した所なので新年の挨拶とさせて頂きます。ちなみにお酒が抜けてきたのでウイスキーを飲み始めました。モンキーショルダー美味しいよ!
この記事から新しく読んだよって方始めましてNiwakaという者です。この記事は憧れオタクの憧れ備忘録となっています
なんのこっちゃ!という方は2019年の記事を読んでいただけると幸いです
2019年の記事でくっそ長い前書きを書いたので今回は前回のあらすじを簡潔に書いて早速本題に入ろうと思います
~2019年のあらすじ~
・まったり丙提督が運カス甲クリアをきっかけに戦果を始める
・放送を始めた所、変態ロリコンH提督と出会い艦これの世界が広がる
・同じくロリコンのS提督と出会い、年末にλ杯へのお誘いを受ける
2020年1月1日の提督経験値
世界を取るλ杯
1月中旬、λ杯の正式な告知が行われた頃S提督から連絡が来ます
「俺と世界を取らないか?」
人生でこんなかっけぇ誘われ方したのは後にも先にもこれだけです
当然二つ返事でOKをし、チーム用のDiscordサーバーに入ります。そこにいるのはS提督に加え継続上位をしている期待の新規戦果マンA提督、宿毛戦果の怪物Y提督、艦これ星人の二つ名を(勝手に)付けられているほどのやり込みプレイヤーU提督でした。(誘われた時点ではこのメンツでしたがこの後、更に走者が1名・記録係が1名参入してきます)
ちなみにここで新規登場したA提督、U提督はそれぞれ私の艦これに今後大きく関わってきます
さて、そんな豪華なメンツで走ることになったλ杯。予定通り私は第一海域を担当することになりました。2019年の記事でも注意書きを入れた通り今回の記事群は思い出話をする為の物なので海域RTAの準備やら編成については重要な部分を除いてザックリ割愛します。もし興味あるよって人は下記記事を読むと良いかもしれません
1-4の大鯨を含めおおよそ想定される部分の99カット艦は育成済みだった私は、大会準備は主に装備改修でした
そこで私は2月チームメンバーの編成案や議論を聞きながら聯合を走ることに
当時の私は今以上に実力・経験共に不足しておりハイレベルな編成議論にあまり口を出せませんでした。しかし、その準備をする背中から感じる所は多分にありました
Y提督は第三海域を担当することになっていたのですが、19年限りで継続聯合の最前線から退いていた事もありレベリングの時間がありました。そこで3-5で使う予定だった日進を175にすると数百万単位のレベリングをしていたのです(ちなみに175作ってからこれ遅くね?ってなって日進はクビになりました。みんなもレベリングする時はしっかり編成を考えてからやろう!)
S提督・U提督も同じです。彼らはそれぞれ第五・第六海域を担当しており使用予定の戦艦レベリングをしていました。当時の記憶が流石に曖昧で不確かですが、軽くログを確認したところS提督は準備中盤でネルソン後500万、U提督も同時期に全体で要求経験値700万と書いてありました
一発勝負の海域RTA大会ではどれだけ強い編成を用意しても艦これの神様にその瞬間意地悪をされるだけで全てが無に帰ります。実際そうやって多くのチーム、多くの走者が涙を呑んできました。しかし、それでもその一瞬の輝きの為に1か月、場合によってはそれ以上の期間を費やしチームとして同じ方向を向く姿は去年の春、H提督と出会った時と同じくらい新しい艦これを私に見せてくれたのだと思います
λ杯本番・初背景
そんな事を朧げに感じながら2月に突入。私は予定通り聯合を走り始めます
目標は11月初聯合での反省を活かした継続的戦果
上記画像は私が毎日コツコツ手動で入力していた素戦果メモの11月部分です
最終的なDay平均は240と聯合としては十分な量を稼いでいますが、日によってムラが目立ちます。私は淡々と戦果を積み続ける所謂直線グラフに憧れと美意識を見出していたのでそこに近づくのが2月聯合の目標でした
そしてもう一つ。キッカケが何だったのか私は未だに知りませんがH提督がこの月聯合をしていたのです。H提督は艦これ自体へのモチベーションは高いもののレベリングメイン。戦果は基本クォータリーでしか入賞してきません。そんなH提督と並走できるなんてもう無いかもしれない機会とテンションが上がっています
こちらが実際の2月メモ
自分用に作っただけのシートなので見にくいと思いますが右2列は各更新時の順位です
この頃の私はまだEO・任務砲を巡る上位戦果の駆け引きを一切知らず、先撃ちをしていました。そして月中旬、1位になります
もしかして背景あるんか?
慌てて戦果ビュアーを見に行きます。拙いながら頑張ってグラフを見ると対戦相手になりそうなのは2人。月末のグラフ保存なんて一切しておらず砲の残弾も何も分かりません。疑心暗鬼になりながら取り敢えず自分なりにDay戦果を加速させます。この時対戦相手として見ていた片方の方はニコ生勢だったようで放送に来て背景争いの意思が無い旨コメントを貰います。ありがてぇ…
となると、対戦相手は実質あと一人。情報は一切手に入らず泣きながらブルネイを回していました。実はこの月、もう一つの戦いが自分にはありました。それは大学受験
いやお前いくつやねん!って話ですが当時バリバリに20越えてました
自分のリアル都合諸々で高校・大学共に通わずにアルバイトをしながら10代を過ごしました。高卒の資格だけは独学で取っており、その後色々あって大学に通える環境が整います。そこでこの年、地元の私立大学の受験をしていました。2/1聯合スタートダッシュをせず何故Day199だったのかここが入試日だったからですねw
合格発表自体は12日くらいだった気がしますが流石に独学のみでは補欠どまり。ヤキモキした状態で戦果を稼ぎます。そして24日頃、繰上りで合格扱いになったと大学から連絡がありました。こうして私は20年春からピカピカの新大学一年生となるわけです
時は少し遡り2月22日。λ杯当日です。私たちのチームは最終的に6位でした。優勝は叶いませんでしたが本当に貴重な経験をさせて貰ったと思います。何より、この時最大の戦犯はリーダとして第五海域を走ったS提督でした。不運が重なり道中撤退が嵩んでしまったのです。しかし、チームの誰一人としてS提督を責めませんでした。これがチーム戦かと肌で感じると同時にいつか自分でチームを組んでみたい欲が出ます
さて、λ杯・受験と無事終わり後は戦果だけ
この頃の私は戦果のし過ぎで頭がおかしくなってしまったのか毎日更新ごとに聯合並走をしてくれていたH提督の戦果順位と半日上昇量をTwitterで呟くストーカーとなっていました。今考えると本当にキモかったと思います。何がキモいって怒られる所か相手も乗っかってお互いにお互いの半日更新を呟いてた所。これが共依存ってやつかぁ…
ちょっとしたホラーは置いておいて緊張の最終更新
うおおおおおおおおおおおお
勝ったああああああああああああ
俺が背景だああああああああああああああ
おうおうおうおっwwwおうっおうおっおうおうおうおwwwwパンッパァンッパァンッ(ヒレを叩く音)パァンッ(ヒレを叩く音)
という事で電背景!
気になる装備は・・・・・
ゴミ!!!閉廷!!!!!
でも聯合頑張れたし背景も取れたからヨシ!
天を穿つ
てんやわんやの2月を終え暫くはまた3群生活に戻り・・・ませんでした!
なんか1群だった
なんか未だにやべー装備貰った
実はこの3月、菱餅ミニイベントとして1海域だけの限定マップが解放されていました
が、色々と思うところがあってこのイベントは乙で攻略をします。一言で言えば運営のイベント告知の仕方にキレてたんですね。(直前に突然メンテ・イベ海域実装の告知がされる、後出しで報酬が増えるなどなど)そのため不買運動ならぬ不攻略運動として好きな事するもん!ってブルネイ回ってたらなんか1群でした☆
この時期λ杯のチームメンバーだったU提督が艦娘経験値10億を達成します。普段あまり自分の艦隊を披露したがらないU提督ですが、この際にはお披露目放送を取っており私も見ていました。当時の私は艦娘経験値が3億程度だったと思います。その私にとって10億とは果てしなく先に存在するハードルでしたが、自然と目標にしたいと感じました。ここから2年ほどはU提督の背中を追い続け、戦果をしながら艦娘経験値を積む事になります
そんなこんなで人の怒りもなんとやら、暫くすると落ち着きます。それからは3群生活の日々
とはいきませんでした(2回目)
2019年のアトランタイベで夜偵を積んだバフゴトランド強くね?と感じた私はゴトランドのレベルを162まで上げることを決意します
4月はそのために5-3Pを重点的に回っていたのできっちり3群
しかし、2月聯合で上位の味を占めた私は5月も聯合を何故か走っています
貰えた装備は・・・
うおおおおおおおおお6位!!!!!!
後撃ちに負けたあああああああ
気を取り直して6月
なんか段々とブルネイが楽しくなってきてしまい、素戦果が増えていきます
というか駆逐艦のレベリング楽しすぎた
実はこの月私の関係ない所で宿毛湾の歴史が一つ動いていました
1位のストールマン孔氏が出した13410という数値は当時の宿毛歴代最高戦果だったのです
元々5月の聯合漏れで悔しさを覚えていた私は夏休みを使って8月、9月に聯合再挑戦の予定でした。9月にはλ杯の罰ゲームとしてチームメンバーでの聯合並走が予定されていたのですが、この時Y提督は鯖歴代・自己べ更新を掲げていました。自分の力量・分は弁えているつもりです。Y提督の本気に自分が太刀打ち出来ない事はわかり切っていました。しかし、同時にハマりかけていた戦果でもう1度1位を経験したい。あの2月の極限まで絞り切った戦果をもう一度経験したい。そこで私はたとえ一月天下だと分かり切っていてもこの13410を越え宿毛歴代を自分の手で更新することを目標に掲げます
運命の天秤
さて、明確な目標も出来たところで準備を始めます。時は6月末。告知されていた大規模イベント「侵攻阻止!島嶼防衛強化作戦」(ホーネットイベ)の前段が始まります
準備の前に取り敢えずイベントをしなければという事で攻略に取り掛かります
前段解放から1週間ほどのタイミングで前段最終海域E4甲を無事突破
使った編成がこちら
この海域には九三一空に装備特効が存在したので、少し歪な部分もありますが、着実に編成力・艦隊の地力が上がっているなと
支援艦隊まで編成を残している辺りにも意識の向上が見られる気がします
ちなみに命中の仕組み、ひいては支援における装備命中の大切さはS提督から教わりました。装備命中の大切さを理解していなかった私は32号電探すらろくに持っておらず(1個とかだったと思う)その事をS提督に言うとS提督から「なめてんの?作れよ」とのお言葉が。今となってはそれが冗談だったと分かりますが、当時の自分は貴重な先生に見捨てられないようにと謝りながらその場で電探レシピを回しました。S提督は罰が悪そうに「ゆっくりでええんやで?」と謝ってました おもろい
さて、そんなこんなで無事前段を攻略、後段解放までは資材を戻しながら8月に向けた作戦を練ります。そして後段解放。イベントRTA勢の阿鼻叫喚を目の当たりにします
そう諸悪の根源、邪知暴虐の化身、憎き忌み子"ナ級Ⅱ"の存在です。前段時点でエリートナ級が先制雷撃を打ってきましたがまだ高難易度の範疇でした。しかしE7でフラグシップナ級が登場「雷撃がつらいげき」という名言も誕生します
この時点で私は二択を迫られました。「E7甲に死力を尽くすか、E7を捨てて8月記録更新を取るか」この二択です
今の私であればもしかしたらイベントと戦果の両立も可能だったかもしれません。しかし、当時の私にその両立は100%無理だと断言出来ました
そして悩みに悩んだ結果私はE7を捨て丁で攻略する決断を下します
理由は2つ①E6にレベリングスポットが存在しE5,6の甲攻略までなら左程問題が無さそう②E7甲報酬であるXF5U(所謂パンケーキ)これを戦果報酬で既に獲得していたので落としても致命傷にはならなさそう
この2点から私はE7を丁でサクッと攻略し、8月の使用編成として考えていた3-2×5編成の為に必要な高火力駆逐をE6レベリングで作ることにします
E7迫真の丁勲章
ここから2週間資材を貯めながらの聯合レベリングが始まります
幸い準備する艦が駆逐艦なので、レべリングの資材消費は軽かったです
という事で夕立2隻、夕張2隻、綾波1隻、陽炎・不知火・黒潮1隻ずつ、長波を頑張って作りました
8月スタートダッシュの準備をしながら迎える7月31日
6月の戦果報酬が配られます
銀河貰いましたやったぜ
と終われば良かったね…
この時1群以上では銀河の上位機体が配られます。そう銀河江草です
明らかな壊れ性能でした
陸攻を中心とした戦力強化の為に戦果を始めた私にとって喉から手が出るほど欲しい装備でした。これが私と銀河江草との出会いです。ここから3年私の人生は大きく狂います
7月は流石に3群でした
記録と誇りの交差点
さて運命の8月戦果が始まります
この頃には少しは上位戦果の駆け引きも覚え始めていましたが記録狙い、端から他人は関係ねぇ。打てる砲は全て7月末時点で発射、EOもほぼ月初に割り切った覚えです
流石に記録残ってないだろと思ってたけど、探したら編成データが残ってました
かがくのちからってすげー
5編成全てを高火力駆逐で埋める所まで用意が出来なかったです
イベント中である事を利用して1~3番艦は火力妥協、4~6隻目に高火力駆逐を添えて警戒陣と時間でごり押してました
警戒陣3-2は当時の自分なりに出した結論ですが今思えば本当に遅かった。3-2なのに平均時速25.5とかだった覚えです
しかしそれでも夏休みパワー時間の暴力で殴ります
8/27にイベント終了。警戒陣が無くなったので単縦3-2を使い始めますがやはり撤退率・バケツ消費酷かったです
結果は15239で無事鯖歴代更新 お疲れさまでした
ランキングコメントにしている「夢は目を開いて見るもの」はアイマスの楽曲"プラリネ"の一節です。好きな曲は多々あれどアイマス楽曲で一番好きな歌詞はこれでしたし、当時の自分の気持ちを体現していたのでランキングコメントにしました
グラフがこちら
憧れていた一直線グラフを作ることが出来ました
また8月の全鯖1位も達成
こちらは狙っていたわけではないですがとても嬉しかったです
無事除外される事なく記録確定。背景艦には電の次に思い入れのある不知火を置きました。気になる報酬ですが高命中主砲と強い陸攻(当時基準)を貰いましたやったー!
今となっては反省点の多い甘い走りだったと思いますが当時の自分なりに精一杯一カ月稼働したのでとても大切な思い出です
※注意 ここから暫くH提督へのくそデカ感情憧れオタクになりますご注意ください
と、ここまでは私の記録戦果の話
年初のλ杯終了後、私の原動力の多くは戦果記録更新に関係していましたがこの記事は他人への憧れに焼かれた男の艦これ話です。と、いうことで私がH提督を仲が良く尊敬する1提督から最も尊敬する提督へと変わったお話をしようと思います。
暁狂いのH提督。ここまで触れて来ませんでしたが縛り攻略もやっていたりします
2019年はコロラドイベの石垣に魅入られ、コロラド・ジェーナス・アトランタと全て最終海域甲を石垣旗艦で突破していました。(本人曰く石垣は手がエロいらしい)
しかし、どれだけ石垣に狂わされようとH提督にとっての一番は暁です。そして彼が本格的に縛り攻略を始めて以降初めての大規模イベント。それがホーネットイベントでした。H提督は最終海域に関わらず途中の海域も可能な限り暁旗艦など縛り編成で突破をしていたのですが、このホーネットイベントを暁と共に、ひいてはお気に入りの艦娘と共に乗り越える事は彼にとって大きな目標であり悲願だったのだと思います
比較的早い段階でE7-3に到達したH提督。W暁旗艦での攻略を始めます。これが7月後半の話だったと思います。歴代でも相当なレベルで難しいとされているイベントです。そうやすやすと突破はさせてくれません。しかしH提督は愚直に、編成を逐次見直しつつ、いつか扉をぶち破れると信じ、ただただ殴り続けます。
そんな日々が1週間、2週間と続きます。何度も尽きる資材。それでも彼は諦めず、資材を貯め、間宮伊良湖女神を用意し扉を殴り続けます。当初W暁旗艦での挑戦をしていたH提督ですが流石に火力不足を感じたのか、第二艦隊の駆逐枠を暁から風雲に譲ります。どれだけ考え、悔しさの末にこの決断をしたのか私には想像も付きませんし生半可な気持ちで語るのはむしろ失礼でしょう。しかしそれでも彼は挑戦を続けました。私はこの8月戦果を彼の攻略を応援しながら稼ぎました。100%全ての放送とはいきませんでしたが多くの放送に顔を出し、応援をしました
そしてメンテ日が決まります8/27です
彼はそれでも諦めず扉を殴り続けます。そして8/26の夜、今日も放送を始めます
正直な所私は心のどこかでこの攻略は失敗に終わるのだろうと思っていました。
しかし遂に扉はぶち破られます
(画像は勝手に過去のログ遡って拝借しました。本人からNGが出たら文章に差し替えようと思います)
H提督が当初思い描いて編成では無かったのかもしれませんが、放送で見せてくれた攻略の姿には彼の"好き"がめいいっぱい詰まっていたと思います
19年4月ひょんな事から知り合い、艦これの可能性、艦これの面白さを教えてくれた彼はこの時私に好きを貫き通す覚悟と矜持を見せてくれたのだと思います
彼はよく放送内で縛り攻略の事をとある漫画作品のセリフを引用してこう表現しています。『誇りだから譲らないんじゃない 譲れないから誇りなのだ』と彼の誇りは私の胸に深く突き刺さりました。残念ながら私はこれだけH提督の事を応援していますが、自分自身は全くと言っていいほど縛り攻略に興味を示せません。しかし、それでも何かH提督に『俺の艦これはこれ』と胸を張って言えるようになりたい。そう思いました
並走、そして敗走
時は進み9月
8月記録戦果で疲労困憊ではありますがこの月も聯合戦果です
資材は凹みに凹んでいたので資材を戻しながらDay250程度を積み続ける日々が始まります。当初順調に戦果を稼げていたのですが月中旬に体調を崩します。聯合争いは5枠7人の様相を呈しており1日のペースダウンが致命傷という状況です。私は大人しく白旗を上げる事に
この時のメンバーは当時の宿毛湾戦果ドリームチームといっても過言ではなく、今後一生このメンツでバチバチ走れることは無いだろうと感じていました。λ杯で一緒だったS提督、U提督、Y提督はもとより、当時聯合継続をしていた面々も参加していたのです。その後私が脱落してから暫くして大勢が決まります。それ以降の戦果ボーダーは最低限の稼ぎに落ち着きますが参加者の一人が「最高最強の聯合ボーダーを作りたかった」とポツリ。奇しくもこの20年9月に延焼していた呉鎮守府が歴代最高聯合ボーダーを更新します。この時途中脱落をし、熱い戦果バトルを繰り広げていた輪の中に入れなかったことが今後3年楔のように打ち込まれ、23年10月戦果へと繋がる訳です。
結果私は7位でした。予定されていた通り私が8月に打ち立てた記録は大幅に更新される事となります。元より抜かれる事を前提に走った記録であったこともあり、悔しさは微塵もありません。むしろ清々しさすらあります。自分が必死に出した記録を1500以上更新する存在。これが戦果の王なのか。と
8月、H提督の姿を見て自分も何か誇れる艦これをしたいと丁度考えていた私は8月9月と2カ月連続で上位をした事、銀河江草への憧れ、Y提督への憧れから今後1年1群継続を目標に掲げることになります
第五回λ杯 ぴよれんじゃーレッド
シリアス気味な話が続いていますが、このタイミングで第五回λ杯の開催告知が行われます。前回大会の時から朧気に自分でチームを作りたいと思っていた私はH提督を含め普段交流の深い提督を誘いλ杯に参戦します。その名も「ひよこ戦隊 ぴよれんじゃー」
チームメンバー共通の知人(参加者ではありません)に"ひよこ"という人がいたので勝手に(マジで勝手にです)名前を借りて特撮戦隊になりました
実はこの際前回のλ杯で一緒に戦い艦娘経験値で目標にもしていたU提督から新規チームへのお誘いがありました。とても光栄なお誘いでどうするか悩みましたが、身内チームとしての参加の話がまとまってきている段階だったのでお断りする事に。奇しくもこのチームが第五回λ杯を制することになります
ちなみに戦隊と言えば名乗り口上大事ですよね。みんなでちゃんと名乗りました
私の名乗り口上は「ユーザーネームは性癖を書くところではない ひよこレッド参上!」です
インターネットの海のどこかに実はこの時の動画が残っていますが流石に恥ずかしいのでここでは紹介しません。興味のある方は頑張って探してみてください
結果は奮わず13位でしたが身内でワイワイと走ったのはとても楽しく今でも良い思い出です。と、ここまでは美談ですがこの時私は1-4で特大のガバをします。そう伊勢の対空CIです。大会当日の朝、噴進砲Maxが作れた私は意気揚々と事前に用意していた編成から穴機銃を噴進砲へと変更します。しかし伊勢には噴進砲改二を使った固有対空CIが存在していたため、速度を競うはずの大会で対空CIを出す遅延行為をしました
この頃のλ杯では第七海域が2海域や3海域しか実装されていなかった事から、担当走者というものが存在せずリーダーが兼任するルールになっていました。ですので、私は第七海域も走ったのですがこちらは区間2位と上々の成果を上げます。しかし、この時1位の方は別視点から斬新な編成を開発しており純粋に編成負けをしていました。この辺りからλ杯ではなく通常海域RTAという競技に少しずつ興味を持ち始めますがまた別の話
竹襲来
λ杯も終わり、年の瀬11月・12月はただひたすらに戦果を稼ぐ日々を送ります
それぞれ無事1群。ボーダー読みも少しずつ習得し、2ページ目での着地が目立つように
この時期、ゲーム内では「護衛せよ!船団輸送作戦」(竹イベ)が開催されていました。夏イベは様々な事情から丁に落としたものの今回は甲で頑張るぞ!と意気込みますが今回も変わらずフラナⅡの姿が。更には凶悪な第一艦隊も引き連れており、当然ユーザー間でも不満の声が噴出します。19年初頭、知り合いを増やそうと積極的にFF関係を増やしていた私は当時1500人程の提督さんをフォローしていました。そこから噴出し続ける不満、怨嗟の声。更には当時提督達の間でユーザーが増えていた別のソーシャルゲームとの対立煽り、様々ネガティブな声がダイレクトに毎日TLには流れてきます。
私自身このイベントに思うところはあり、自分が甲攻略を目指し始めた19年以降最悪のイベントだと思っていますがそれはそれ、これはこれ。好きで遊んでいるゲームに対してネガティブな声ばかりという状況で動じないほど強いメンタルを持っていない私はここでTwitterアカウントを爆破します
7年近く運用したアカウントを爆破するのは心苦しかったですが、それでも艦これを楽しく遊ぶためにリスタート今のTwitter垢アカウント実は2代目です
それ以降私は放送や戦果などで直接関わりのある提督さん以外のフォローには消極的になっています
そんな凶悪なイベントですが友軍がめちゃくちゃ強く(この友軍ゲーな部分が私にとってはこのイベント最大の不満点だったわけですが)友軍が破壊していきます
何はともあれ俺の勝ち!!!!
ちなみにこれTwitterを転生した直後の出来事なんですが、呟いたらプチバズりました。どうして…
ともあれ無事ゲージも破壊し穏やかな心で年越しを出来そうです
といった所で2020年の振り返りは終わりです
なんと2020年は1万文字も要しました。そして現在時刻は1月2日の午前5時50分
2019年は3時間で振り返れましたが2020年は5時間かかりました…
取り敢えず新聞の朝刊に載っているエッセイ感覚で投稿し寝ようと思います
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2024/1/4 一部見出しタイトルを変更